J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲 BWV988(ピアノ盤)
- A.Rangell(Dorian<89>)(45:17)◎
ジャケット→
自由闊達かつ大胆な表現が面白い。
装飾音の自由な追加はもちろん、バスや内声の大胆な強調、バロック的アゴーギク、ときにはリズムの変更(付点をつけたり)までも織り交ぜている。
(しかもこれらを繰り返し時の変化としてでなく、1回目から行うことも多い。)
かと言ってまったく恣意的(出鱈目)な演奏というわけではもちろんなく、バロック的演奏慣習に沿ったものと思われる。
その意味で(楽器は違うが)コープマンやマンゼの演奏を思い出させる(ちなみに私はコープマンも好きである)。
どのフレーズ、声部にも生き生きとした表情と躍動感があり、無味乾燥に弾かれることはない。
技術的にも自在で淀みがない。
ただ楽譜は絶対という教科書的演奏を望む人には薦められないかも。
繰り返しは基本的に名技的変奏のみ行っている(カノンなど対位法的変奏のみ繰り返しを行うケースはよくあるが、こういうのは珍しい)が、それほど規則性があるわけではないく、このあたりも自由である。
- M.ベッカー(cpo<2000>)(78:04)◎-○
奇を衒ったり、特に才気を見せるところはないが、自然で落ち着いた歌い方に心惹かれる。
自然体と言ったらよいか。
といってもアバウトということもなく、細部まで丁寧に仕上げている。
録音もやや響きが多めのしっとりした音で、演奏によく合っている。
最初の第1変奏こそ割と力強く始まるが、後半に行くほどリラックスしていく感じで、技巧的な最後の26〜30変奏など、これだけ力みのない演奏も珍しい。
最後のクゥオドリベットもコラールのように崇高に響く。
個人的にはゆったりしたテンポで弾かれた第12変奏(私の最も好きな変奏のひとつ)が特に印象的。(この変奏は快速に弾かれる場合と落ち着いたテンポで弾かれるのと2通りに分かれるが、彼のような遅いテンポは珍しい。)
逆に速めのテンポで弾かれた第21変奏も新鮮。バッハの音楽の懐の広さを感じる。
全体的にこの曲に刺激を求めるというよりは、マッタリしたい人向き。
- E.Dershavina(Arte Nova<94>)(77:13)◎-○
軽快なタッチが心地よい。
名技的変奏が特に鮮やかで、ベッカー盤と同様、力みがなく、さらに軽やかさが加わる感じ(第5, 20変奏などが好例)。
グールド55年盤のような超絶技巧ではないが、技術的に最も優れている盤のひとつといえる。
ノンレガートのアーティキュレーションを結構多用するが、変奏によってはレガートのしっとりした響きで変化もつけている。
トリルも明快で歯切れがよい。
第12変奏でバスをノンレガートで点描風に弾くところなどグールドを彷彿とさせるところもある(ここ以外にもグールドに影響を受けたと思われるようなところが散見される)。
少し惜しいのは各変奏の後半の終わり方(アゴーギク)で、終わったかと思ったらまた繰り返しが始まるみたいに感じることがままある。
1回目はまだ繰り返しが続くことを予感させるように終わらせたいところ。(このあたりはベッカー盤が上手い。)
- グールド(Sony<59>L)○-◎(37:07)
ザルツブルクライヴ。
変奏間を切れ目なく弾くため全体に一体感、連続感があり、全曲を一気に聴かせる。
(この時は81年盤のようなテンポというかパルスの統一性までは考えていないと思うが。)
その意味で55年盤ほどブツ切りな感じではなく、また80年盤ほど人工的でもなく、自然な流れというか勢い、ノリのよさがある。
興に乗って内声を浮き立たせるような味付けもスタジオ録音より多い。
瑕は多少あり(第1、29変奏のミスタッチは結構目立つ)、細部の完成度もスタジオ録音ほどではないが、それでも総合的に彼のゴルトベルクで一番魅力を感じる。
(確かにこれでさらに完成度が高ければもっと評価は高いのだが…。)
第25変奏も55年スタジオ録音ほどの病的なテンポになっていないのは個人的には好ましい。
繰り返しは基本的に行っていないが、クオドリベットなど一部行っているものもある。
- 高橋悠治(Denon<76>)(36:50)○-◎
甘さや感傷を排した論理的なバッハ。
2段鍵盤用に書かれた名技的な変奏では少しぎこちなさをみせたり、テンポが微妙に落ちたりすることもあるが、輪郭とアーティキュレーションのはっきりした彼独特の音はやはり魅力である。(これは個人的趣味によるところも大きいが。)
特に快速テンポの第19変奏が好みで、このようなキビキビした解釈はなぜか少ない(他にはガヴリーロフくらい)。
他の曲も(名技的変奏はそれほど速くないが)全体的にテンポが速めで、かつ(バッハに限らず彼の他の録音と同様に)繰り返しは一切しないので、サクサクと曲が進んでいく。
第25変奏もグールドと違って思い入れなく淡々と弾かれるため、全体の演奏時間はグールド盤を抑えて手持ちの中で最短。
- ヒューイット(Hyperion<99>)(78:32)○
アーティキューレーションや音色、強弱、各声部の弾き分け、繰り返し時の変化など、ポイントはすべて押さえており、技術的にも安定。
模範的演奏と言える。
第13変奏での繰り返しでの音色の変化や第19変奏での繰り返しでの声部の音量バランスの変化も秀逸。
クオドリベットでの各声部の弾き分けの上手さも特筆に価する。
第20変奏では1小節ごとにエコーのようにデュナーミクを変えるところが面白く、繰り返しでの強調声部の変化も聴かせる。ただ装飾音(モルデント)が少し不明確なのが残念。また第29変奏で出だしに時代錯誤的な大きなタメを入れるのはどうかと思う。
スタカートを結構多用するのだが、そこで音が硬くなるというか、突き刺すような音になるのが少し気になる(Dershavinaのような軽やかな音になるとよいのだが)。また名技的変奏でも、(技巧が)胸がすくというところまではいかないのが(あえて難癖をつけるとすれば)ある。
- シフ(Decca<82>)(72:15)○
流麗で柔らかく、歌に満ちている(あるときは優しく、あるときは愉悦的に)。
技術的にも洗練されていて安定感抜群。
ただ心地よいのはいいのだけれど、麻薬的な美しさというか、快楽的方向に走りすぎているのではという懸念を感じないでもない(バッハはもっと峻厳であるべきだとは言わないけれど)。
これでもう少しシャープで明晰な録音だったらそれが少しは中和されるのかもしれないけど、例によって豊潤な残響と(多分ベーゼンドルファーの)柔らかい音が私の好みと少し違っている。
BGMとして小洒落た店でかけるには一番ピッタリかもしれない(別に悪い意味ではないつもり)。
- グールド(CBS<81>)(51:14)○
グールドの代名詞ともなっている超有名盤。
綿密に設計され、設計図通り寸分違わず構築された建造物を見るような演奏。
たださすがにちょっとやり過ぎというか、個人的にはもう少し遊び(ゆとり)の部分や自発的なところが欲しい気がする。
ピアノの音もやや直接的、刺激的過ぎて、少し聴き疲れしてしまう。(ザルツブルクライヴのようなオブラートに包んだような温かみのある音だったらよかったかも。)
グールドいわく、全変奏のテンポを1つの「パルス」で統一しており、このあたりの分析はユリイカに載ったケヴィン・バザーナや宮澤純一の文章に詳しい。
繰り返しはカノンやフゲッタなどの対位法的変奏(=グールド好みの曲)で前半のみ行っている。
- グールド(CBS<55>)(38:25)○
これも説明不要の超有名盤(いわゆる旧盤)。
グールドが自ら指摘しているように、各変奏がバラバラに個性を主張していて、変奏間のつながりが希薄。
変奏間のポーズがやや長いのと、テンポにつながりがないのが大きな要因。
特に名技的変奏については、どこまで速く弾けるか挑戦したような感じ(そういうわけで名技的変奏の多くは恐らく最速記録。残りはガヴリーロフとワイセンベルクあたりが分け合う形か)。
音楽性だけでなく技巧に関しても人並みはずれていることをデビュー盤で(しかもバッハという決してヴィルトゥオーゾピースでない曲で)示したいという彼の野心の表れのように見える。
繰り返しは一切行っていない。
- コロリオフ(Haenssler<99>)(84:52)○
コロリオフらしく、バロック的というか闊達で躍動感溢れる演奏を予想していたら、意外に静的で折り目正しい。ちょっと真面目すぎるほど。
前半(第15変奏まで)は普通のテンポで、なぜ85分(ちなみに2枚組である)もかかるのかと思ったら、後半は全体的にかなりゆったりしたテンポ(名技的変奏は除く)。
特に第25変奏は11:09もかけており(ちなみにグールド55年盤は繰り返しなしで6:28)、しかもあまり表情をつけずに淡々としているのでちょっと退屈に感じるところもある。
ただし名技的変奏はいずれも速めのテンポで技巧も確か。
この調子で他の変奏ももう少しテンポを速めて全体を1枚に収めてくれたらもっと手が伸びる盤になるのだが…(しかも2枚組なのに他に収録曲がない)。
- ペライア(Sony<2000>)(73:29)○
全体的にインテンポでタッチが明確かつ安定(ただし微妙な陰影は少ない)。
ビシっと楷書で書いた習字のお手本のような演奏。文句をつけるところはないのだが、それが魅力につながるかはまた別問題。
第8変奏でバスを強調するところは面白く、こういうことをもっとやってみたらよいのではないかと思う(特に繰り返しでは)。
変化、工夫が常識の範囲内と言おうか。
その中では後半の第16変奏〜19変奏が出色の出来栄え。
技術レベルが高いだけに全体的に名技的変奏の方が聴き応えがある。カノン変奏はもうひとつ面白みに欠けるかも。
- ヴラダー(Camerata<96>)(74:25)○
ある変奏はしっとりとレガートに、ある変奏はキビキビと溌剌にと、変奏によって変化をつけている。(しかもなるべく同じ曲想が続かないようにしている。)技巧的にも高度に安定。
ただ全体的な統一感というかコンセプトがやや希薄な感じがする(聴き終わって、どんな演奏だったか一言で言い表しにくい。強いて言えば「多彩」か)。
バスや内声が疎かになっているということはないが、ソプラノの歌が重視されている感じがある。
発想がややロマン派的かも。
- M.Chung(Channel Classics<98>)(64:53)○
全体的に少しゆったりめのテンポ。細かい表情を付け、手堅く丁寧に弾き進めるところは好感が持てる。
名技的な変奏でもあまり速いテンポはとらずに確実性を狙っている。
ただ全体に少し真面目すぎて面白みに欠けるか。
繰り返しはしたりしなかったり(名技的変奏はしない傾向)だが、一律に行うと単調になる恐れがある演奏なだけに賢明な選択だったかも。
やや残響が多めの録音でしっとりした感じだが、録音のせいか輪郭がややぼやけた感はある。
変奏間のポーズが妙に長いのは少しマイナス。
- Z.X.メイ(Mandala<99?>)(61:20)○
残響がやや多めだがしっとりした潤い。ピアノの響きが美しい。
というわけでしっとり系かと思うと、名技的変奏では結構速めのテンポで攻める。
ただ第20変奏や23変奏では出だしのテンポが速すぎたせいか、途中の難所で微妙にテンポが落ちることがあり、惜しい。
第29変奏も(ヒューイットほどではないが)最初にやけにタメをつくるのがあまり好きではない。
繰り返しは原則として前半のみ行っている。
- グールド(CBC<54>)(42:30)○-△
55年盤のドライな演奏と比べると表情付けが濃密でロマンチック。アゴーギクもたっぷりで自己陶酔的とも言える(ちなみに併録の平均律抜粋はさらにその傾向が顕著)。テンポも全体的にやや遅め。
(グールドは後年、55年盤の第25変奏を「感情を露骨に表現しすぎ」として否定したが、54年盤はまさにそれを全変奏に渡って行った感じであり、見方を変えれば以前の解釈の名残が55年盤の第25変奏に残っているのかも。)
聴きものは終盤の第26変奏以降の技巧的な変奏が続くところで、興に乗った感じで勢いがある。
問題は音質で、強音で音が割れるなどかなり聴きづらい。また(放送用の生録音ということもあって)瑕も多少ある。
変奏の間に結構ポーズがあるのは55年盤と同じで、この点ではザルツブルクライヴや81年盤の方が全体の流れに連続感がある。
- テュレック(EMI<57>)(95:17)○-△
テンポがとても遅い。が、リズムは正確で拍子感が明確、ノンレガート主体でアーティキュレーションも明晰。
その意味でどこかグールドの81年盤に通じるところがある(これでテンポを1.5倍くらいにすればグールドの演奏っぽくなくかも)。
グールド得意の低速トリルも多用しており、「一番影響を受けたのはテュレックの演奏」というグールドの言葉には確かに頷けるものがある。
名技的変奏もスローテンポながら確実にキッチリ弾いていて、下手に弾き飛ばされるよりはよい。
が、キッチリ弾いているだけで無味乾燥に陥る恐れがあり、これで繰り返しを全部やるとなるとさすがにやや退屈に感じるところもある。ちょっと四角四面な感じ。
印象に残るのは第13変奏で、(彼女にしては)珍しく速めのテンポでノンレガートで弾くところが面白い。
- カニーノ(Ermitage<93>)(76:20)△-○
表現意欲が感じられ、随所に工夫がみられる。繰り返し時の変化も多彩。
第17変奏のアーティキュレーションや第22変奏の繰り返し時の装飾音も面白い。第24変奏での内声の出し方も印象的。
ただタッチの安定性、洗練性がもうひとつ。
あるいは丁寧さが足りないと言ってもよいのかも。
1つ1つの音を磨くとか、粒を精確に揃えるということにはあまり執着していないのかもしれない。
- アラウ(RCA<42>)(77:55)△-○
端正な演奏。
アラウがグールド以前にこのようなグールド的アプローチでバッハを弾いていたことに驚いたという文章を岡田敦子が書いていたが、確かに各変奏のテンポ設定こそ異なるが(もちろんグールドより穏当)、グールドの55年盤と似た雰囲気はある(録音の質も同程度に悪いということもあるが)。
ただグールドのように気の済むまでテイクを重ねるようなことは(恐らく)しなかったせいか、細部では多少不明瞭になったりテンポが安定しなかったりするところがある。(例えば第10変奏はトリルが甘いし、第17変奏ではタッチが少し不安定。)
- J.Cload(Meridian<95?>)(46:48)△-○
アゴーギクにちょっと違和感がある。
あるテンポで始まったかと思うと急にアチェレランドしたり、第4変奏、第10変奏では途中で一瞬止まったかのようになったりする。
おそらくバロック的奏法に則ってやっているつもりなんだろうけど、どこかハズしている感じ。
そのほかの解釈はオーソドックス。技術的には流暢とは言いがたく、ギリギリ合格点というところ。
繰り返しは最初のアリアを除いて行っていない。
- ガヴリーロフ(DG<92>)(74:18)△
音がやや硬く、もう少しタッチに潤いというかしなやかさが欲しいところ。
トリルが不明瞭になりがちなど、細部の緻密さ、仕上げの丁寧さににやや難あり。
第5変奏など名技的変奏ではグールド並みのスピードで、第28、29変奏はさらにグールド以上(第28変奏の猛スピードなど彼のショパンエチュードを思い出す。
一方、第25変奏は11:05と最遅に近い)。
というわけで全体的には(ワイセンベルクなどと同じく)技巧を顕示する方向の演奏。だがそれも(2、3の変奏を除いて)あまり成功していると思えない。
その中では第13変奏が異様に速いテンポだが結構面白い。
- A.Vieru(HMF<98>)(48:12)△
残響が多い録音のせいもあると思うが、輪郭がややぼやけ気味というか音に締まりがない感じ。
朴訥というか、あまり才気走ったことはしない。その意味ではベッカーと同タイプだが、演奏技術にはかなり差がある。
弾き飛ばす感じではなく、丁寧に弾こうとしているのは伝わるのだが、いかんせん技術(指回り)的にやや苦しい。
手が重なるところで音が曖昧になりがち。
繰り返しは行っていない。
- N.Gabunia(High Dimension Classics>)(52:21)△
オーソドックスだが
細部の詰めが甘い。技術的にも物足りなく、タッチが洗練されていない。
第10変奏ではトリルなど装飾音の処理がぎこちない。
第23変奏などは相当に苦しい。
繰り返しは名技的変奏以外で前半のみ行っている。
- ワイセンベルク(EMI<67>)(79:04)△
急速系の曲ではブレーキのきかない機関車のように突っ走るが(自然なブレスが感じられない)、単なる指の運動に堕している感がある。しかもテンポがしばしば走る。騒々しいと言おうか。
もっとタッチに精妙さが欲しいところ。
第13変奏ではロマン派風のアゴーギクが違和感バリバリ。
各変奏の終わりでたっぷりアラルガンドするのもどこかロマン派的発想。
スピードに関しては第17変奏は特に凄まじく、(繰り返しありで1:21というのはグールドの55年盤が繰り返しなしで0:52であることを考えると)良くも悪くも彼の特徴が出ている(もし1変奏だけ聴くのならこれがお奨め:-)。
- P.ゼルキン(PROARTE<86>)(78:46)△
タッチが不揃いというか不安定。
名技的変奏では細部が怪しい。
自分の技量をかえりみず速めのテンポ(と言ってもそれほど速いわけではない)をとっているが、ちょっと弾き飛ばし気味。
たとえば第14、20変奏などでそれが顕著。
かと言って遅いテンポならばキッチリ弾けると言われれば、それも怪しいが。
(このあたりのタッチの安定性は基本的技術なのでそう簡単には直らないと思われる。)
このような訥々としたタッチが彼の魅力だと言われればそれまでだが…。
- C.Bjorkoe(Scandinavian Classics<2001?>)(77:32)△
情感の付け方やアーティキュレーションなど、表現の方向性は悪くないと思うが、技術的にかなり難あり。
技巧的変奏はどれも危なっかしいし、そうでない変奏もタッチがもうひとつ安定しない。
トリルも不明瞭。第8変奏ではノンレガートを多用するなど意欲は買えるが、却ってぎこちなくなっている。
- J.Kamitsuka(Bel Canto Society<2000?>)(44:32)△
勢いはある。が、荒い。
タッチが洗練されていないというか、ドタドタした感じ。少なくともタッチを入念にコントロールしているという感じではない。
第26変奏や第27変奏などではそれが明らかで、粒がよく揃っていないし、下手すると指が転ぶ寸前。
テンポ速めで繰り返しなしだが第25変奏だけは(グールドほどではないが)ゆったりとしたテンポをとっている。
未記入盤
- シュタットフェルト(Sony<2003>)(66:07)
- C.Pescia(Claves<2004>)(41:31)
- ディナースタイン(Telarc<2005>)(78:20)(ブログ記事)
- グールド(WHRA<58>L)(ブログ記事)
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