ムストネンの演奏を表すのに最もよい言葉は「才気煥発」だろう。 例によってエッジの効いたスタカートを多用し、フレーズの中で大胆に表情（特にデュナーミク）を付けていく。 それが人によってはあざといとかやり過ぎと感じられても仕方ないが、聴いていて飽きさせない、新しい発見があるという点ではこの演奏が一番だろう。 正直、曲によっては賛成できない解釈もあるが、この曲はどんな風に料理するのだろうという期待感はまた格別。 タッチや声部のコントロールの巧みさはシフに匹敵するが、シフがあくまで柔らかく優美なのに対し、ムストネンのはもっと躍動的で、どこか悪戯っ子みたいなところがある。 残念(?)なのは、ショスタコーヴィチの前奏曲とフーガと組み合わされていることと、CDが別レーベルの2つに分かれていること。（ショスタコーヴィチの曲はそれでそれでよい曲なのだが、聴く時はそれぞれ別個に通して聴きたい。） というわけで私は（ムストネンの意図とは全く反することになるが）BachだけをMDに編集して（曲順も順番通りに直して）聴いている。 録音はRCAの方がピアノの音がやや中空な感じがして、Ondineの方が良い感じである。
安定した技術、ケレン味のない解釈という点でジャレット盤と似た雰囲気がある（同じECMということもあるのか）が、 さすがに本職?だけあってタッチのコントロールの精緻さはさらに上を行く。 ジャレット盤に比べると蒸留水というほどではなく多少味付けがあり、またジャレット盤が全般的に速めのテンポでさっぱりしているのに比べ、全体的にじっくりと静的で穏やかである。 その意味では癒し系とも言えるのだが、ただこれだけの技術があれば各声部の浮き上がらせ方などにもう少し工夫や変化があってもよいようにも思う（ムストネンやシフほどとは言わないが）。 それでも総合的に癖のない安定した演奏ということであれば、実は今一番推せる盤かもしれない。 第2巻にも是非期待したい。
シンプルでスマート。 癖がまったくないというか、クラシックのピアニストならこの曲集を録音する場合はそれなりの思い入れやこだわりが感じられるものだが、ここではそれがあまりなく、 蒸留水のような印象を受ける。 （ジャレット自身も「バッハは、何も付け加えない演奏こそが理想だ」と言っている。） 全体的にインテンポ感があり、テンポも速め。緩徐系の曲でもあまり深刻にならない。 タッチが均質で安定している一方、表現の素っ気無さ（ジャレットは意図的にそうしているのであるが）の点で多少物足りなさを感じることもあるが、シンプルさを追求した盤として意義があるだろう。 明快だが暖かみのある、刺激的過ぎない音なので聴き疲れすることもなく、個人的にも結構よく取り出して聴くことが多い（2巻も是非ピアノで弾いて欲しかった!）。 強いて言えばトリルの入れ方がやや単純に過ぎる（均等音符割り）ことがときどきあるのが少し気になるところか。
タッチがクッキリとして明確。 解釈は割とストレートだが細かい表情や表現上の工夫も結構ある。 テンポも標準的だが、急速系の曲ではもったぶらずに名技性を見せるかのように速めのテンポをとるのが気持ちよい（技術的にも安定）。 逆に緩徐系は全体的に遅めで、ときどき極端に遅く弾く曲がある。 特に4番や24番フーガの遅さはちょっとやりすぎのように思える。 歴史的奏法を多少意識した路線に、グルダ的な要素を加味したと言ったらよいか。 6番前奏曲はノンレガートのアーティキュレーションが面白い。
全体的にしっとりとした落ち着きのある演奏。音色が美しい。耽美系と言ったらよいか。 タッチは非常に安定かつ丁寧。 チェンバロ奏法を意識しながらも、ペダルを駆使し、音色の変化や特定の声部の強調が上手い。（24番前奏曲で左手がこんなに歌う演奏もちょっとない。） 装飾音の入れ方も自在な感じでセンスがある。 ただ残響が多めの録音なのが私の好みに反していて残念。 彼の一連のDeccaへの録音からするとこの音響が彼の趣味なんだろうから仕方ないが、これが彼のHungaroton盤のようなクッキリした音ならさらに高く評価するんだけど…。 （チェンバロの録音ならば響きは多めがよいが、ピアノはやはり明晰性を重視したい。）
例によってノンレガート主体のアーティキュレーションが面白い。 第4番のフーガなどはそれが新鮮で、他の演奏では味わえない魅力がある（逆にいまだに違和感のある曲もあるが）。 ただ第2巻に比べて全体的に曲に対する態度が真剣というかストイックすぎて、彼一流の遊び心・愉悦感が少ないように感じられる。 （そもそも曲自体にその傾向があるのかもしれないが。） 2巻に比べるとメチャクチャ速く弾くというのが少なく、それがグールド的躍動感の少なさにつながっているのかも。 逆に12番前奏曲や22番はさすがにちょっと遅すぎの感あり。（グールドとしてはゴルトベルクの第25変奏のような位置付けの曲なのかもしれない。） 個人的には急速系の曲をさらに彼一流の指技で速く弾いたもの（3、5、6、15、21番前奏曲）や、フーガを慣習的テンポよりずっと速く弾いたもの（17、23番など）に惹かれる。 16番前奏曲は（矢代秋雄と小林仁の対談本でも話題に上っていたが）トリルを細かくしてくやり方が機械的で面白い。
シフ同様の、チェンバロを少し意識しつつも（音色や強弱の変化という）ピアノの長所を生かした路線。 全体的に穏やかである。 ただしっとり系の曲はいいのだが、急速系の曲（3番、5番等）でスパイスが少々足りない感じ。 もう少し溌剌としたところがあってもよいのではないかな。 残響あるいはペダルも少し多めなのか、細部が少しモゴモゴする感じがある。 2巻とアプローチはそれほど違わないはずなのだが、なぜか2巻ほど聴いていて楽しくないのは単に私が2巻の方が好きだからかな。
急速系の曲ではタッチが強く張りがあり、淀みがなく、一気呵成にもっていくような感じ。 一方緩徐系の曲では丁寧・禁欲的に弾き進めたりして、曲による表情の差が結構激しい。 そのため通して聴くとやや聴き疲れするところもなきにしもあらず。 （チェンバロ奏法を意識しない）純粋にピアニスティックな、今となってはやや古いタイプの演奏。 1番フーガで非常にゆったりしたテンポをとったり、2番前奏曲を陰鬱に弾いたりと、結構グールド以上に独特の解釈をしている。 解釈の多様性を知るためにはいい盤かも。 それにしても19番フーガのスピードはスリリング。
グルダ盤もそうだが、曲によって音量レベルがえらく違う。通して聴く場合（普通はそうだが）はちょっと気になる。 解釈的にもやはり従来の伝統的なピアノ奏法に則ったもの。 ただ（偏見かもしれないが）いかにも真面目で、遊び心があまり感じられない（というか、遊び心などバッハに対する冒涜と思っているかも(笑)）。 グルダが「聴かせてやろう」と思っているのに対し、リヒテルはただ曲の理想像を追い求めている求道的な感じがする（やっぱり偏見かな?）。 音色もモノクローム系で、あまり小細工をしない。 個人的には、立派な演奏だと思うがもうひとつ面白みに欠けるというのが正直なところ。 残響多めの録音で、細かい動きで多少clarityが損なわれている感あり。 全体的に緩徐系の重い曲の方が赴きがあってよいと思う。特に22番のフーガが味わい深い。もし1曲選ぶならこれかも。
全体的に遅めのテンポ、飾り気のない朴訥としたタッチ（悪く言えば洗練されていない）で丁寧に弾き進める。 輪郭のはっきりした、ノンレガートのアーティキュレーションを多用しているが、あまり大きな表情を付けずに、どこか淡々としている。 急速系の曲でも、慌てず騒がず、あくまで落ち着いたテンポである。 ただ技術的な問題からか、粒が完璧には揃っていなかったり、テンポが微妙に揺れたり、フーガで各声部の流れが多少ゴツゴツした感じがあったり、トリルがもうひとつキマっていなかったりといったところがたまに顔を出すのが少し気になる。
明晰ストレート路線。 音色やタッチの工夫というか変化はほとんどない（よく言えば素直に譜面通りに弾いている）。 そのタッチはやや重く、もうひとつ洗練されていない感じ（「軽快な」という言葉とは無縁）。 コロリオフと違って、急速系の曲も遅め、緩徐系の曲もさらに遅めという感じで、演奏時間の（手持ちCDの中での）最長記録になっているものも少なくない。 4番前奏曲や8番など、やや常軌を逸し気味のものもある。 遅い割にアゴーギク等表現上の工夫が少なく淡々と弾いてる感じなので、聴いていてちょっとつらいところもある。 その中では14番フーガは珍しく速めのテンポだが、これを聴くと極めて普通である（むしろ他の人もこのくらいのテンポで弾いてもよいのではないかな）。 1番前奏曲ではバスの音を伸ばし気味にして、グールド以上に変わった演奏。 16番前奏曲や24番フーガなどでは遅めのトリルを均等割で入れるのはちょっと子供っぽい。
全体的にロマンチックな解釈で、歌い方も割と自然でそれほど違和感はないのだが、問題は技術面。 よく言えばあまり細部に拘泥せずに、さっと弾いた感じ。（一発録りではないかと思うくらい。） 普通に言えばタッチが不安定で（粒が不揃いかつ細部が曖昧になりがち）、曲によってはかなり危なっかしい（弾けてないとも言っていいくらい）。 これがコンクールだったらまず通らないだろうという曲もある。 あまり練習をしていないのか、あるいは技術的に衰えたのか、いずれにしてもちょっとBachをナメているのでは?と思ってしまう。
テンポは揺れるし、タッチは不安定。音抜けや指のもつれもしばしば。 明らかなミスタッチも含め、普通なら録り直ししそうなものもそのまま残している感じ。 （おそらくほとんど一発録りなのではないか。） 音楽性とか完成度とか言うレベルではない。 ほとんど欠陥商品といってもいい。 テンポは速めで、特に急速系の曲で手持ちCDで最短時間になっているものも多いが、技術的に比較の土俵に載らない。